手力雄神社と信長公

平成29年織田信長公戦勝祈願四百五十年

信長公にまつわる話/戦勝祈願

織田信長は、美濃攻めの際、この各務原の地域においても大きな戦いが行われました。
当社は、木曽川を越えて金華山を眺めることのできる各務原台地北西の角に当たり地理的にも要所として考えられました。
新加納に攻め入った信長は、当社へも攻め入ってきました。
参道を進むと、急に境内に霧が立ちこめ息苦しくなった信長は馬から落ち、体が動けなくなってしまいました。
まさかの出来事に驚き、ご神威(神様のお力)に触れ、今後二度と神社に矢を向けないと誓うと、霧はたちまちに晴れ、信長は動けるようになりました。
すぐさま、神前にて稲葉山城(今の岐阜城)攻略の戦勝祈願をした後、永禄10年8月、斉藤氏を滅ぼし稲葉山城を攻略を果たしました。
当社へ崇敬し、宝物や禁制(市文化財)を残したと伝わります。
稲葉山城から見渡す土地を除地として認めました。
以来、1300町歩(約1300ヘクタール)の広大な境内地を有し、現在の那加地区の発展に繋がりました。

信長公にまつわる話/弓掛桜・的場桜

織田信長は、戦勝祈願の後、弓術の奉納をしたと伝えられます。
2本の桜に、的と弓を掛けたところから「弓掛桜」「的場桜」(市史蹟)として現在も残ります。
(現在の桜は、3代目と伝えられます。)